2016年9月29日木曜日

リワークでの体験を復職へとつなげるために


 前回のブログでは、リワークでの体験が、今リワークに参加されているメンバーさんにとって、どういうものになっているのかという視点に拠っているものでしたが、

 今回は、プログラム、一つ一つから何をどう体験するのかという視点から綴っていきたいと思います。

 これまでも、ブログの中では、リワークに参加した期間が長ければ長いほど、復職しやすいとか、再発しにくいというわけではないということをお伝えしてきました。

 

 リワークで1クール(2〜3ヶ月)過ごしたのに、復職がなかなか見えず、むしろ出席率が芳しくないとき、
 リワークに参加されているメンバーさんは、何を頼りに復職へと歩んでいけばいいのかと、不安に感じられるのではないかと思います。


   実際、「3ヶ月もリワークに参加したけど、自分は何も変わっていないように思える」、
「リワークに参加して、生活リズムは整ってきたけれど、復職が見えない。リワークと職場とは違った環境だし、ここで何かできるようになったとしても、リワークだからできるのであって、職場ではできないと思う。リワークに参加する意味がだんだんわからなくなってきた。」と、
復職に向かえない問題が、リワークに参加する意味を問うという形で表明されることが少なくありません。


 そういった言葉を耳にするたびに、メンバーさんだけでなく、私たちスタッフも、
どうしたら、リワークの体験と復職とがつながっていくのかなと、改めてリワークの活動について考えたり、点検したりする機会になっています。

 
 疑問に感じるというのは、大切なことでしょう。
 疑問を抱いたことによって、自分が今やっていることの意味を考えるきっかけになるし、今直面している課題とどう向き合えばいいのか、自分にとって何が必要なのかを知るきっかけになるのかもしれないですから。

 リワークでやっていることと、復職とがつながらない人は、今リワークで体験していることを直視することが難しくなっているのかもしれないと考えることもできるでしょう。



 そういうときには、リワークで今取り組んでいることに、もう一度、目を向けてもらいたいのです。


 たとえば、日々の生活記録をつけることになっています。
 これは、今、自分がどういう生活をしているのかを視覚化したり、どういう体調なのか点検したり、どういうことで気分や体調に影響が出るのかを知るために役立ちます。

 認知療法では、1週間のうちで、気持ちが大きく揺れ動いた出来事をピックアップし、そのときの気分や頭の中に浮かんできた考えというのを整理していきます。

 ストレッチの時間には、今自分の身体をどのくらい動かせるのかを感覚的に知ることができます。

 こうして、プログラムを通して、みなさんはいろんな面から、“今、自分がどういう状態なのか”というのを知ることができるのです。

 

 今、自分がどういう状態なのかを知り、これまで自分がどうだったのかなと振り返ることで、“今の状態で仕事ができるのかな”、“復職したあと、自分で体調管理できるかな”、“周囲の人とうまくやっていけるのかな”と考えることになるでしょう。


 そうすると、
 「今までは、こうしてきたけど、それは良くなかったんじゃないか」
 「自分はこれが正しいと思ってきたけど、違うやり方の方がいいんじゃないか」と
 これまでの自分のあり方に、自分自身が直面する必要が生まれます。



 でもそう感じることの方が、きっと当然のことで、
 リワークの中で、自分の壁と向き合い、どうしていけばいいのか考えることが、リワークで重要な作業といえます。

 
 自分を信じるためには、自分に疑問を投げかけてみないと、本当の自信にはつながらないのではないでしょうか。


 “自分はできる”と確信を持ちたい人は、自分ができないことがあるかもしれないという不安を見たくなくて、回避しがちになってしまうかもしれないけど、
 “本当に、自分はこれができるのかな?”と考えてみることで、どのくらいのことが今の自分にできるのかということがわかり、それが自信へとつながると思うのです。

 
 リワークでは、毎日さまざまなプログラムを行っています。


 その中で、「自分は、どうかな?」「これまで自分はどうしてきたかな?」「どう過ごしてきたかな?」と考える作業を、日々繰り返してみて、ここでの体験を、復職へと主体的に進めていきませんか?
 

 

2016年9月20日火曜日

リワークで過ごす体験が、現実からの逃避にならないために 〜リワーク体験が治療的なものとなるかどうか〜

リワークでの体験は、時とともに変化します。
例えば、参加当初はリワークにストレスなく通っていたメンバーがいたとします。
その人が、復職が決まりリワークを卒業するまで、ずっと同じ状態でいられたとしたら、すなわち、ストレスなく通い続けられていたとしたら、あなたはどう思いますか。
「リワークでストレスを感じず、欠席もせずに続けられたから、大成功」と思う方もいるかもしれない。

しかし、リワークに参加しているメンバーの多くは、そうは思わないはずです。

実際には、何らかのきっかけ(これはメンバーによって異なります)が起こります。
これによって、「(職場と違って)ストレスなどない」と感じていたリワークが、職場に似た困難な場所に変容します。
具体的には、欠席という行動によってそれが表現されることが多いのです。
これが休職の再現に極めて近いものであることは、さほど説明を要しないでしょう。

「ストレスがないはずのリワークが、職場と似た不快な体験が起こりうる場所である」と体験することが、治療的な意味を持ちます。
なぜなら、この変化によって初めて、「一体何に不快やストレスを感じて、リワークが苦しい場所に変わったのか」ということを、リワークの中の具体的な体験を素材にして考える機会が得られるからです。
リワークが苦しい場所になってしまったのだから、これは辛い体験です。
辛い体験ではありますが、ここで何が辛くなっているのかを自分自身に問い、それをグループに話して一緒に考えたり、スタッフとの個別相談で一緒に考える体験をどれだけ持てたかが、リワークという集団療法での中核的な治療体験になるのです。

この治療的な体験に取り組むときに、自分が本当に感じていた心の声が、少しずつ誰かに語られるかもしれません。

「プログラムなどでの付き合いを通じて、あるメンバーが嫌になってしまった。」
「信頼していたスタッフだったのに、自分のことがわかってもらないと感じて、失望してしまった。」
「集団に溶け込めないと感じ、孤立感に悩んでいる。」
「リワークに意味や意義を見出せず、時間の無駄だと思うようになった。」
「復職が近づいてきたけれど、実際はあんな職場に戻りたくない。少しでも先延ばししたい。」

リワークという集団における治療体験では、自分が今の集団や場所のなかで、何に辛くなっているのかを考え始められるかどうかが鍵を握ります。
「辛い」という言葉では体験の性質が限定されるので、「リワークに参加しているうちに、自分自身や集団に対していろいろと考える機会が増えたり、モヤモヤとしてスッキリしない体験が増えてきた」と、言葉を広げてもいい。
ただ、やはり、自分がリワークの中で行き詰まったり、悩んだりすることがないと、リワークでの治療体験のインパクトは薄れるでしょう。

悩みながらも考え、怖いけれども、相手にその思いを言葉にしていく。
そうする過程が、自分自身について内省的に知るきっかけを生むかもしれない。

リワークのなかで、実際の対人関係に苦しみながら、それを職場で自分に起きていたことと連関させられるような気づきの体験がないと、リワークは非常に浅い体験になっていることが示唆されます。
リワークで実質的な治療的な体験を持てなかった場合は、職場に戻っても、不快なことや大変がことが自分の身に起こったら、容易に「欠席」という未熟な方法に頼ってしまうことが起こります。

リワークが、職場という辛い場所と切り離されたままになっていないだろうか。
リワークと職場とが、完全な別ものだと感じていないだろうか。
例えば、次のように。

リワークは良い所/職場は悪い所
リワークは楽な所/職場は大変な所
リワークはぬるま湯/職場は熱湯
リワークは楽しい所/職場は辛い所
リワークの人たちは優しい人/職場の人たちは優しくない人
リワークスタッフは良い人/職場の上司や同僚は悪い人
リワークはやり甲斐がない/職場はやり甲斐がある

上記の対立関係は、リワークと職場とが切り離されたままだと、リワークで辛いことがあった場合に、容易に反転します。
例えば、
リワークは大変な所/職場は楽な所
などと。

リワークと職場とが切り離されたままだと、リワークで自分自身に悩んだり行き詰まりを感じることも、ほとんどないことでしょう。
それはしかし、「リワークの中では、見たくないものを見ないようにしている」からかもしれません。
リワークを、意識的にか無意識的にか、職場とは違うものとして保存し、それを維持しようとしていないか、問うてみて下さい。
今のリワークが「現実からの逃避」になっていないか、自分に問うことが必要だと思います。

リワークの参加期間が長くなっているメンバーの方は、そうした自分の状態に対して、程度の差はあれ自覚的になり、モヤモヤした思いを抱くと思います。
そうしたモヤモヤの中でも、自らに問うのが辛い問いの一つに、「リワークに居続けているのは、職場などの外の世界に出て行くのが辛いからなのではないか」という問いです。
復職という辛い現実に向かうのではなく、リワークに逃避しているのではないか、という問いです。
これは辛い問いですが、参加期間が半年以上となり、1年が近づくにつれて、この問いは真剣に問うべき問いとなるでしょう。
リワークが長くなっているメンバーの方は、この問いを軽視せずに、向き合えるかどうかです。それは、自分にとってリワークが治療的な場になっているかどうかを、問うことですから。
参加期間が長くなっているならば、「見たくないものを見ないようにしてリワークを続けていないか」という葛藤が、その時間を意味のあるものに変えるかもしれない。

参加してまだ早いメンバーの方も、リワークに参加し続けていれば、いずれこのように悩んだり、葛藤するときが訪れるでしょう。

CRESSでは、リワークで実質的なプログラム体験を持つには、3ヶ月は必要であると考えて、3ヶ月以上は参加してもらえることを最初の段階で確認しています。
そして、原則、1年間を参加の上限としています。
このように、参加期間は、リワーク体験の重要な条件です。
しかし、時間の長さは、必ずしも治療的な深さを保証しません。
そのリワークでの時間を、治療的なものにできるかどうかは、やはりその方がどれくらい悩み、それを考え、「見たくないものも見たか」に大きく依存していると思います。

今日の記事は、リワークでの楽しい体験を否定するものではありません。
リワークでの楽しさは、そこでの情緒交流を意味していますから。
それは、復職に向けての大事な準備ですし、そうした陽性の情緒体験じたいが、治療的な意味を持ちます。

しかし、リワークが多面的な体験となっているかは、考えてもらいたいことです。
一面的な体験(例えば、「楽しい」という以外にはあまり思いつかない)であれば、それは、リワークと職場とが切り離されたままかもしれない、と疑ってみてください。

多面的な体験が持てているメンバーがいる集団であれば、その集団は治療的な力を持てることでしょう。
しかし、一面的な体験でよし、としているメンバーから構成される集団であれば、その逆のことが起こることでしょう。

そして、やはりリワークである限りは、私たちは前者の集団として成長できるかどうかを目指したいものです。

それは、自分と、リワーク集団とを、別ものとして見るのではなく、自分はリワーク集団に影響を与えているし、自分もリワーク集団から影響を被っている、という視点を提供してくれます。

2016年9月9日金曜日

ロールプレイについて

CressではSST講座としてロールプレイを実施しています。

ロールプレイでは、主役・脇役といった数名で行うもので、現実に起こる場面を想定して、複数の人がそれぞれの役を演じ、その体験を通じて、ある出来事が現実場面で生じたときに、適切に対応できるようにする学習方法です。

まずはロールプレイの背景となる物語を皆さんで読み、大まかな内容を把握してから、主役・脇役という役柄をメンバーの皆さんで決めていきます。

人前に立って、役を演じるというのは、
思っている以上に勇気のいることだと思います。
ロールプレイの役に挑戦する人/しない人が存在することも確かです。

そこで今日はまず、配役決めについてお話出来ればと思います。

ロールプレイの内容自体も重要なのは勿論ですが、配役(配役を決める時の自分自身の思い、感情)も重要な事柄だと思っています。
というのも、”今日は主役をやろう!”と思う時もあれば、”なんだか気が向かないなあ”と感じることがあると思うのですが、それは何がそうさせているのでしょうか?

もちろん、その時々の気分や体調なども大きく左右していると思います。経験したことがない場面だからちょっと今回は・・と感じられることもあるでしょう。
しかし、その役柄自体が経験としてあるが故に演じることに自信がない、という理由も存在するのだと考えることも出来ると思います。

しかし、上記とは逆の場合も多く見受けられます。
配役を決める際に、”自分が経験したことだから”と手を上げて、主人公に立候補するというものです。

経験のある場面でどう状況を対処するのか、
自分はこのような苦手な場面でどのように行動し、どう感じるのか。
そのことについて考えることは、非常に大切なことだと思います。

実際にロールプレイを演じてみて、
客観的なフロアの意見を聞くことで、
自分の行動の癖・情緒の揺れなどについて検討し、自己理解に繋げていくことが出来ます。

ロールプレイの舞台は実際の場面ではないし、
ある種の人工的な場面ですが、
その人独自の特徴が多く表現されます。

単なる行動の癖だけではなく、
自分がこのような時にどう思いやすいのか・どう感じやすいのかという、
自分自信の情緒に触れる体験を増やしていくことが重要なことのように思います。

今度も皆さんと、
自分自身の情緒に触れる体験を増やせていければいいなと思います☆

2016年9月1日木曜日

Cress Caféから学んだこと

今週のCress Caféでは、Cressのメンバーさんと一緒に「かき氷」を作って、食べました。8月に行われたCressの卒業生と現在Cressに在籍されている方々の交流会があり、そこでもかき氷を用意したので、「また、かき氷か」と残念に思われた方もおられたかもしれません。

 でも、振り返りの時間には「昔ながらのかき氷で、良かった」「宇治抹茶きなこ黒蜜、最高〜♪」と、楽しく過ごせたという感想を多くいただくことができました。

 さて、ここからが本題です。どうして、メンバーさんの多くが「楽しく過ごせた」と思えたのでしょうか?

 もちろん、和やかな雰囲気で美味しいものを食べたから、というのもあると思います。理由は人それぞれ、様々にあると思います。また、中には「楽しくなかった」と感じていた人もいたかもしれません。

 いろんな理由があると思いますが、その内の1つに、「時間に追われることなく、ゆったりと過ごせた」ことが挙げられると思います。
 つまり、息抜きのCaféタイムであっても、時間に追われたり、強制されたり、枠にはめ込まれるような体験であると、それはリラックスの時間ではなくなり、苦痛や物足りなさを感じたり、欲求不満な状態になったり、本当のリラックスには至らないと私は考えました。

 今回は、ある程度の枠は有りましたが、氷を削って、好きなシロップをかけるという、作業工程が少なかったこともあり、ゆっくりと食べることができました。急いで胃の中に入れ込むプレッシャーはなく、またシロップも好みのものを選択でき、座席も自由で仲間と交流する時間を多く持てたという、欲求を満たされる体験が多かったように思います。もちろん、個人差はあります。それが上手く合わさり、多くのメンバーさんがリラックスして、楽しいと感じる時間を持てたのだと感じました。

 スポーツをしたり、読書をしたり、趣味など気分転換の方法は、人それぞれ様々にお持ちだと思います。今回のCress Caféでの体験を通して、趣味や気分転換が義務的にならないよう、ゆったりリラックスできるように、運動や読書、美味しいものを食べることが重要なんだと思いました。私自身も上手く活用していきたいと思います☆