2016年5月23日月曜日

復職に対する態度について、今一度考えよう〜「早く復職したい」、「復職のことは考えたくない」〜


 リワークに参加している方にとって、自分がいつ復職できるのかは、常に心のどこかで発している問いでしょう。
 リワークにおける復職の目安とは、一体どういうものでしょうか。
 リワークを利用している方が、どういう状態になっているときに、少くともリワークから見たときに、復職に向かっていっても良いだろう、と判断できるのでしょうか。
 もっと明確な目に見える判断の材料は、リワークへの出席状況です。リワークの欠席は、職場に行けないことを意味しますから、出席率が低いと、復職は困難です。あるいは、職場に戻ったとしても、休んでしまうことが起こります。
 リワークを休んだときこそ、自分に何が起こっていたかを考えることを、リワークでは強調しています。
 それはすなわち、職場に行けない自分を考えることに他ならないからです。

 出席率は目に見える明瞭な判断材料です。
 目には見えないけれど非常に大事なのは、休職に至った自分を振り返り、内省できる経験が、どれだけリワークで持てたかです。
 そこには、見たくない自分の姿を直視することが伴います。必然的に、リワークでとても悩むことになります。
 もし、「リワークは楽しい」という体験レベルで終始しているならば、それはおそらく、職場に行けなくなった自分を正視することを、避けているのでしょう。
 もちろん、「楽しい」と感じられることには、健康的な側面もあります。
 しかし、リワークで自分を直視し、苦しんだ体験があってこそ味わえる「楽しさ」が、復職への力ですし、再発予防できる力です。
 休職に至るまでには、苦しさや行き詰まりがあったはずです。
 そして、リワークはその苦しみの場であった職場に戻ることを目的とした場所なのです。
 もし、楽しさだけでリワークを経験しているなら、表面的な部分だけを使っているに過ぎないのでしょうし、表面的に自分を見ているに過ぎないのでしょう。

 復職に対する姿勢、復職への思いについて、考えてみましょう。
 話をわかりやすくするために、対照的な考え方を取りあげます。
 つまり、「一刻も早く復職したい」という人と、「復職のことはまだ考えたくない、考えられない」という人に、登場してもらいます。

(1)後者のような状態(リワークに参加しているのに、職場での体験を考えないままでいる人)は、仮にリワークに通えていたとしても、目を閉ざしている状態です。
 実際には、見たくない自分を、見ないようにしているのです。
 大事なことから、すなわち現実から、 逃げつづけている状態です。
 どうしてこういう状態に陥るのでしょうか。
 ひとつには、「職場に行けなくなったときに、一体自分に何が起きていたのか」という振り返り作業に手をつけると、当時の職場での苦しさや不快が、まさに今起こっていると体験されるからだと思います。だから、復職のことは考えられない、考えたくないのです。
 しかし、いつまでのこの状態に留まっていては、復職は困難です。
 リワークの持つ治療的な力は、ひとりでは考えるのが辛いことでも、仲間とともに考え、乗り越えていこうとする舞台が用意されていることです。
 しかし、その舞台に上るかどうかは、主人公であるそのメンバー次第です。
 ここでの仲間とは、同じように職場で悩み苦しんだ経験を持ちながらも、復職や社会復帰という共通の目的で集っているメンバーです。
 そして、メンバーたちと一緒に考えて、復職への道を同伴しようとする病院のスタッフです。
 「職場でのことを考えたり、振り返るのは苦しいけれども、リワークでは、そういう作業をともにしてくれている人たちがいるのだ」と実感できて、そのことに意義を感じられたならば、それまで避けつづけていた復職という現実に向き合うことが、おそらくできるようになることでしょう。

(2)さて、「早く職場復帰したい」と意気込んでいる人はどうでしょうか。復職は近い、と判断できるのでしょうか。
 このときは、復職したい欲求が、どういう動機から生じているのかを、検討する必要がありそうです。

(2−1)その方が、上記したようなリワークでの振り返り作業を積み重ねていたならば、復職したい願望は、復職ができる判断と適合すると思います。
 そういう人は、職場に行けなくなった自分の姿をかなり直視したはずです。そして、リワーク体験を通じて自分の課題に取り組んできたのでしょう。その結果、「そろそろリワークを卒業して、自分の仕事場に戻ろう」と思い至ったのです。

(2−2)しかし、「早く復職したい」という欲求が、リワークで自分を直視することからの逃避として使われている場合は、復職できる判断には繋がらないと思います。そういう方は、職場で困難なことにぶつかり、見たくない自分の姿が見えそうになると、職場から逃避したのだと思います。
 つまり、休職です。
 そして今度は、リワークの中で困難に遭遇しました。そこで見たくない自分に直面しそうになったのです。すると今度は、リワークから逃避したくなるのです。それが、「早く職場復帰したい」という欲求になります。
 この場合は、職場でもリワークでも、自分の中にある未解決の課題に取り組むことが苦しくて、それを避け続けているのです。その点で、本質的には、(1)の場合とさほど違いません。
 もっとも、(2−2)のようなときは、あるいは、(1)の場合も、リワークを休みがちになったり、ときには行けなくなってしまう事態が起こりやすくなるものです。
 「職場に行けなくなったことと同じことが、リワークでも起きている」と理解すべきです。
 こういう方は、偽りの「解決方法」を、リワークで変える必要があります。復職を実現させるだけではなく、再発予防できるようになるためです。

 上記したようなパターンは、その人に固定して起こる訳ではありません。
 例えば、半年間のリワークの利用の経過において、当初は、自分の課題を見つめることを避けようと、「早く職場に戻りたい」と希望していた人が、リワークプログラムやメンバーとの対人関係を持つことで、これまで手を付けられないでいた自分の問題に気付くこともあります。その際、当然苦しくなるので、リワークを休んだりもするでしょう。
 しかし、今度はリワークを休職しないで、踏みとどまることが出来たとしましょう。
 リワークで悩みながらも、様々な人からの力を借りつつ、「自分の弱さ」、「出来なさ」を直視し続けました。こういう方は、何らかの変化を遂げて、リワークを使いきって、職場に戻っていかれるでしょう。

 もっとも、これは理想的にすぎるプロセスなのかもしれません。
 実際は、各人各様、行き詰まったり、自分の変わらなさを認識したりしながらも、それでも現実に向けて歩み出す。
 そういうものかもしれません。

 最初に思い描いていたような理想的な自分にはなれなかったけれども、リワークを利用し、それをやり切った経験(途中で諦めないで、卒業までやり続けた経験)を持てたことは、仕事の現場にとどまり続ける力が身に付いたことを示唆します。

 そして、職場に戻ってから苦しんだり再発しそうになったときに、たとえ理想的な自己解決ができなくても、リワークを卒業までやり切った経験があれば、アフターリワークなどの治療的な繋がりに今後も頼ることができるでしょう。

 リワークでの一日一日を、どう体験しているのか。
 そして、それをどう積み重ねているのか。
 今一度、考えてみてください。